― なぜ、そうした成果や実績を出せるまで導くことができるのでしょう。
私はもともとシティグループという、世界でもっともグローバルな金融機関に長年在籍していました。1999年のユーロ発足からITバブル、サブプライム住宅ローン危機、リーマン・ショックなど、世界を舞台にした激動の金融畑を歩んできたため、投資先の経営に自身の経験をもとにした直接的なアドバイザリーを行うことができます。世界中から溢れる膨大な情報を精査し世界のマーケットの潮流や時代の流れをみて、アドバイザリーに活かしているのです。
そして、支援先の企業が海外のマーケットに出ていくときには、現地の人物や企業などに豊富なコネクションがあることも貴重な財産になっていますね。
― 日本の企業がグローバルで戦うためのポイントを教えてください。
多くの経営者に話すのが、「まずは日本で事業を成功させて、そこから世界に打って出る」と考えるのでは、もう通用しないということです。国際戦略をしっかりと練り、担当役員となるべき人材をしっかりと据えて、日本のサービス開始と同時に早い段階から海外展開を目指していくことが大事なのです。
そのうえで、私が経営指導を行う際は、私自身が「同じ船に乗る」ことが重要であると考えています。自分自身もイチ株主として、その立場に立って会社を成長させていく。つまり、経営者と運命をともにするという覚悟をもつことが非常に大切なのです。
前に進むときはもちろん一緒ですし、仮に沈んでいくことがあっても一緒。私自身が覚悟をもってコミットメントしなければ、「本当の意味で会社にかかわれない」ということなのです。
― そうした想いの原動力になっているものはなんでしょう。
いまの日本経済をなんとかしたい…という想いでしょうね。
この30年間、日本は世界の経済で負け続けている存在です。かつて日本経済は、あわや米国を抜くのではないかと言われていて、時価総額でみても、世界の時価総額トップ10のうち7~8社を日本企業が占めていたんですね。それがこの30年間で、世界経済の勢力図は大きく変わってしまいました。
アップルやマイクロソフトは言うにおよばず、アマゾンやFacebookやグーグルなど、米国を中心としたITの雄が世界を変え、中国の台頭もすさまじい。米国や中国の会社にできたのに、なぜ日本の会社ができなかったのか。私自身、日本人として忸怩たるものがありましたし、なんとかしたいと強く思ったのです。
かつての日本はまずまず大きな市場でしたから、国内で勝負していても成長率もなんとか確保できました。でも今後は、もはやそれでは通用しません。日本のマーケットだけでは生き残ることは難しく、海外に打って出なければ大きな成長は望めないのです。
それを実現し、日本経済の復活の旗頭になれるのがベンチャー企業だと思っています。それゆえ、「ベンチャー企業の成長に貢献したい」という想いが強くあるのです。
プロフィール
- お名前那珂 通雅
- お名前(ふりがな)なか みちまさ