株式会社フリーダムランド 代表取締役 内野 弘勝
ポテンシャル採用と育成で次のステージを狙う
Sponsored株式会社フリーダムランド
法人向け営業支援、システムの受託開発で2009年に設立されたフリーダムランドは、今、新たな成長期の入口にある。SES事業に経営資源を集中し、エンジニアを積極的に採用する3ヵ年計画を実行する、代表の内野氏は、人材採用について独特の考え方をもつ。特徴はポテンシャル採用と、ヒューマンスキルを重視した教育体制。人員の拡充とともに将来に向けて明確なビジョンをもつ内野社長に、現在の思いを聞いた。
― 内野社長は学生時代に起業経験があるそうですね。
当時、約5,000人規模の学生サークルに所属し、イベントを仕掛けながら、「人の流れ、クチコミの力を使ってビジネスができないか」と考えていました。思ったことはすぐ行動にするタチで、企画書をつくり、企業にアポイントをとり、プレゼンしたところ、数社から「おもしろい」と反応が。その後は地場企業やタウン誌とタイアップして、学生主体のイベントなどを企画していました。
となると、そこにお金の流れが生まれ、法人化を求められるようになり、企業のPR活動、マーケティングをお手伝いする学生ベンチャーの立ち上げに至ります。商品サンプリング、アンケート調査、クルマの試乗会、タウン誌とタイアップしたイベントなど、忙しく働いていました。一方で、卒業後は就職、できれば大手企業で働いてみたいと思っていました。
― そのまま事業を続けることは考えなかったのですか。
実社会で、自分がどれだけできるのかを試したかったので、総合商社に就職しました。がむしゃらに働き、入社2年目にはある程度の成績をあげていましたが、組織に対しての疑問も芽生えます。学生とはいえ起業していたため、売上金額より営業利益、経常利益で「どれだけ会社に貢献しているか」を見ていましたが、評価があいまいだったのです。ただ、海外の案件もあり、いろんな人と接することができたので、仕事自体はとても面白かったですね。また、実はその頃、会社員でありながら、会社社長という別の顔も持っていました。
― どういう経緯で社長を務めることになったのですか。
学生時代から親交のあった方に、飲食店の経営を受け継ぐことを持ちかけられました。結局、経営権を買い取り、起業して飲食店経営をやることに。会社の就業規定に副業禁止はありませんでしたが、事業が軌道に乗り、複数店舗を展開することになりました。
その後、商社を退職し、3年間は飲食店を経営しました。自分では成功していたと思いますが、やがて店の権利を売って、実家のある静岡県に帰り、1年半、その後の人生を賭ける仕事を探す時間に費やしました。
― 現在の事業の基盤は、その1年半にできたのですね。
実は、飲食店と同時に通信事業も手がけていて、インターネットに大きなビジネスチャンスを感じていました。そこで、プログラム、サーバ構築などを独学で勉強。ある程度自信がついたところで、実務経験を積むために東京でエンジニアとして働き始めます。31歳のときでした。その後、コンテンツプロバイダーにヘッドハンティングされ、そこで4年間、ITスキルを磨き、M&Aの現場にたずさわり、IT業界の経営、事業のカン所を体験として知ります。その後、プログラム開発会社の執行役員を3年務め、独立。2009年の6月でした。
プロフィール
- お名前内野 弘勝
- お名前(ふりがな)うちの ひろかつ
- 出身静岡県