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ニッポンの社長 > インタビュー > その道のプロフェッショナル > フジコーポレーション株式会社 代表取締役 加藤 広嗣

― その後はどういったキャリアを歩んだのですか。

 演劇の道に進むことも考えたのですが、「目標の実現に向けてがんばる人を応援する」という考え方に共感した教育関連の出版社に就職しました。最初の仕事は、編集でした。小学生の子どもたちが楽しく夢中になって勉強できるうえ、成績もグングン上がる教材を毎月工夫し続けるという、非常に高いクリエイティブ性が求められる仕事で、とてもやりがいを感じました。一心不乱に働いて成果も出し続けたので、入社から5年目には「学年編集長」を任されるまでにいたりました。

 しかし、そうしたなかである日、私はとうとう過労で倒れてしまいました。はじめは、働きすぎることの苦しさよりもやりがいや使命感が勝っていたのですが、それが長く続くとやはり体はもちません。どんなに仕事で成果を出していても、自身の体を管理できず、倒れてしまっては元も子もありませんから、実際に倒れた後、社内では自分に対する評価が一気に下がったことを肌で感じました。そのときに考えたのは、「自分」をしっかりもたないと、仕事や周りに振り回されるだけの人生になってしまうということでした。そこで、休養期間中には自主的に経営の勉強を始めました。それが機会となって、その出版社で私は新たなキャリアを歩むことになりました。

― どういった仕事に携わるようになったのでしょう。

 新規事業開発の担当者として、顧客管理から物流、経理まで1つの事業全体を通して任せてもらいました。ここでも、新たに立ち上げた事業で成果をあげることができ、やりがいを感じていたのですが、大きな転機となったのは、経営企画部門での仕事でした。チーム別プロジェクトの事務局業務に携わり、各チームにおいてメンバーの活動をサポートするものです。各メンバーのやる気や持ち味をいかに引き出し、行き詰っているプロジェクトを前進させるか。そうした仕事にかかわるなかで、自分は、自らが新しいものを生み出すクリエイティブな仕事にも魅力とやりがいを感じていましたが、人や組織を輝かせるために、はたらきかけを工夫し支援する仕事のほうが、より自身の能力を発揮できると感じたのです。

 それはまさに、「自分の生涯の仕事が見つかった」という感覚でした。ちょうど仕事の節目のタイミングもあり、人や組織が輝きながら成果を生み出し続ける支援をする仕事にチャレンジすべく、35歳で前職を円満退社し、1998年に独立して、フジコーポレーションの前身となる会社を立ち上げました。

著名経営者

  • 株式会社IDOM(旧:株式会社ガリバーインターナショナル)

    羽鳥 兼市
  • テンプスタッフ株式会社

    篠原 欣子
  • 株式会社セプテーニ・ホールディングス

    七村 守
  • シダックス株式会社

    志太 勤
  • エステー株式会社

    鈴木 喬
  • 楽天株式会社

    三木谷 浩史

プロフィール

  • お名前加藤 広嗣
  • お名前(ふりがな)かとう ひろつぐ
  • 出身岐阜県
  • 平均睡眠時間6時間
  • 平均起床時間5時
  • 趣味Cooking
  • 座右の銘人間万事塞翁が馬