※下記はベンチャー通信8号(2003年7月号)から抜粋し、記事は取材時のものです。
【インタビュー前編】志望校に首席で合格
― 熊谷社長の中学時代の話を聞かせてください。
中学の時はほとんど勉強しませんでした。「やればできる」と自惚れてたんですね。中学3年の時に、担任に「国学院大学付属高校に行きたい」と言うと、「絶対無理だ。やれるもんならやってみろ」と大笑いされました。国学院大学付属高校の偏差値は65以上。確かに当時の成績では不可能に思えました。しかし担任の言葉が非常に悔しくて、必死で勉強したんです。そして、受験1ヶ月前には教科書を全て暗記してましたね。
― 国学院大学付属高校には合格できたんですか。
死ぬ気で勉強した結果、国学院大学付属高校に首席で入学できたんです。入学式では新入生代表のスピーチも任され、国学院大学の学長に「国学院大学に進学しないで、東大に行ってほしい」とまで言われました。しかし2年生になると「やればできる」という慢心からまったく勉強しなくなり、600人中500番まで成績が落ちてしまった。それで学年主任の先生に目を付けられてしまい、結局2年生の夏に高校を中退したんです。
― 20歳の頃に結婚をされたそうですが。
そうなんです。20歳で結婚して、21歳で子供が生まれました。また当時は通信制の大学にも通っていた。それに加えて、父が経営する会社で働いて学費と生活費を稼いでいました。ですから20代前半は夫、父親、学生、社会人のひとり四役をこなしていたんです。私の父は、「二世後継者」として私を雇っていました。「二世後継者」というと親の七光りで仕事はしないがお金はあるというイメージが強いですが、私の場合は全くの逆。父からは「一番安い給与で一番働いて、他の社員の手本になれ」と言われていた。また「人間は動物とは違う。書物を通じて、人の一生を数時間で疑似体験できる。だから本を読め。生涯勉強しろ」と教わりました。だから、私は少しでも時間があれば勉強しました。いくつもの勉強会にも参加し、ありとあらゆる新聞や本を読み漁った。当時の生活は肉体的にも精神的にも、そして経済的にも非常に辛かったですよ。
そんなある日、夜遅くに帰宅すると家内がアルバイト情報誌を片手に泣いてるんです。訳を聞くと「お金が無い。子供を保育所に預けてアルバイトを始めるの」とひと言だけポツンと答えたんです。その時は非常に辛い思いをしましたよ。自分を信じて結婚してくれた女房を泣かせている。それまでの苦労なんか比べものにならないくらい悩みました。
― そのときの苦しみをどう乗り切ったんですか。
悩んだ挙句に三つのアクションを起こしました。まず一つ目は、「夢のリスト」を作ったんです(図1参照)。これは、自分が一生涯を通してやりたいこと、欲求・欲望・夢、そういったものを心のおもむくままに書き綴ったメモ帳です。そしてそのメモ帳に数十、・数百もの夢・目標を書いていくうちに、自分の究極的な目的にたどり着いたんです。自分がこの生涯で追い求めていきたいものは、「幸せ」と「成功」だなって。そして、私はこの二つの言葉を定義付けしました。「幸せ」とは、心が穏やかであったり、満足感を得ている状態のこと。「成功」とは、物質的に余裕があること。精神的に豊かな人間になること。そして、社会に貢献するものを生み出せる人間になること、だと。
次に二つ目は、「人生ピラミッド」というものを作りました(図2参照)。「夢のリスト」を6つのジャンル別に分けて「基礎レベル」、「実現レベル」、「結果レベル」の三つのレベルに分けた。まず20代では、「基礎レベル」の夢を達成しようと考えました。「基礎レベル」で一番の柱になったのが健康です。体調を崩しては、元も子もありませんよね。当時、私の体重は80キロもあったんです。それを70キロにしようと考えたり、様々なスポーツをしようとも考えた。心のあり方も考えました。また先ほどもお話したように、当時はひとり四役をこなしていました。自分で選んだ道にも関わらず、その状況を人のせいにしたり、他人を蔑んだりもしていた。いま思えば、辛いことを人のせいにすることで精神的に逃げていただけですよね。そんな自分を変えようと、精神面を高めるためにいろいろな心がけをしていきました。教養面では、毎日欠かさず新聞を読んだ。そうやって私は夢・目標を細分化し、達成期限とゴールを決めていったんです。そしてチェックリストを作って、毎日コツコツ努力を積み重ねていきました。
最後に三つ目は、「未来年表」を作りました。自分の夢・目標を時系列に落とし込み、自分の未来を年表化したんです。完成した年表は結果として、20歳前半から35歳までの人生の年表になりました。当時は「未来年表15年計画」と名づけて毎日持ち歩いてました。朝起きたとき、ご飯を食べるとき、夜寝る前、といつも「未来年表」を見ていました。でも、そういう風にして「未来年表」を自分の潜在意識の中に植え付けたことで、ただ考えるだけでなく、実際の行動に結び付けられるようになったんです。20歳の頃から、「未来年表」を達成することだけをひたすら考えていましたね。
プロフィール
- お名前熊谷 正寿
- お名前(ふりがな)くまがい まさとし
- 出身長野県