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ビジョナグループ 代表取締役社長 鷲尾 潤二

業界再編や新市場開拓を若い仲間と一緒に追い求めたい

国内市場規模10兆円にのぼる自動車産業。しかし、近年は新車販売台数が減少するなど苦戦を強いられている。そんな中、2004年の設立後、次々と新店舗を出店し飛躍的な成長を続けている輸入車販売会社がある。人材育成に徹底的に注力し、有能な若手社員を続々と輩出しているビジョナグループだ。代表の鷲尾氏自ら経営に必要なものの見方や自己研鑽のための思考法を伝授し、企業を「人間教育の場」と位置づけて社員の成長を強力に後押ししている。26歳で起業した業界の風雲児である同氏に、若手人材の育成法を聞いた。

― 事業内容を教えてください。

 独立系の正規ディーラーとして、アウディ、シトロエン、ルノー、アルピーヌ、ロータス、専門店事業メルセデスベンツ、ポルシェ、フォード、リンカーン、ジャガー、ランドローバーなど、高級輸入車の販売流通業を行っています。輸入車のディーラー事業と輸入車専門店を兼ねる、輸入車の専門商社です。2004年の設立後から現在までに、東京、埼玉、栃木に拠点を展開。業容は着実に拡大しています。

― 輸入車に特化したのはなぜですか。

 偶然の要素が大きいですね。経緯をお話しすると、起業前、フォードディーラーのセールスをやっていました。そこでトップセールスになり、別資本のジャガーディーラーの店長に21歳で着任します。最初は出向でしたが、その後転籍。そこでは私ひとりで年間100台以上販売しました。売上額にすると6億円ほどでしょうか。そんなおり、埼玉県所沢市にあるジャガーディーラーが、経営破綻してしまった。「自分なら再建できるかもしれない」と。そう考えられたのは、当時の上司や部下も「あなたならできる」と、ついてきてくれたことと、それまでに経営危機を乗り越えた経験があったからです。そこで起業することを決めました。スタートが輸入車ディーラーだったことで、今に至るまで継続しているわけです。でも、逆にそれがよかったと思います。年間に売る台数がマーケットと商品の単価の都合上、限られた方しか対象ではなかったので、私ひとりで売ることができたからです。国産ディーラーでしたらそうはいきませんでした。年間に仕入れる台数、登録をしなければならない台数が多いので膨大な経営資源が必要です。そもそも後発参入でディーラー権利が取れるわけもないのですが。私が新たにジャガーディーラーとして経営した会社は、5期連続で販売達成率実績No.1を獲得しました。

― それほどの営業力を、どうやって身につけることができたのでしょう。

「絶対にプロフェッショナルになる」という強い意志、つまり「マインド」があったからです。17歳で日産自動車の販売店に入ったのが、私がこの業界に入った最初。しかし、当初はまったく売れませんでした。そしてこのときの上司に、セールスマンとしての基礎を徹底的に叩き込まれました。ビジネスマナーや自動車の知識、セールストーク、営業ノウハウ…。私にとってはすべてが初めての経験で、「なんでも吸収しよう」と朝から晩まで必死に働きましたね。
 毎日お客さまを訪問しながら、どうやったら心を開いてもらえるかを徹底して考え、関連する本を読みあさったり、営業成績の高い先輩に無理を言って営業同行させてもらったり。極限まで商談件数を増やし、「期日までに絶対に売ってくる」という想いだけは強くもっていました。それだけは、いつも忘れませんでしたね。
 すると、熱意は人を動かすんですよ。実際に、だんだんと売れるようになっていったんです。その後、縁あってフォードのディーラーに転職しました。

― 鷲尾さんが、そんな強い意志力を養うことができた理由はなんですか。

 高校時代の挫折経験でしょうか。打ち込んでいたボクシングでつまずいて、学校も中退してしまった。とりあえず派遣で工場勤めをしましたが、ライン仕事が退屈極まりなくて退職。「これからどうしようか…」と考えたとき、「営業の仕事であれば、実績と成果次第で学歴も関係ない、世の中に認められる」と。
 そして職安に行って見つけたのが、日産自動車のディーラーでの車のセールスの仕事でした。でも記載されている応募条件は大卒以上。私は高校中退ですから、普通に履歴書を送ったらダメに決まっています。そこで直接、人事担当に電話をして、「とにかく会ってほしい」と直談判したんです。
 面接の機会をもらい、高校中退の履歴書を見せたうえで、「必ず売ります。絶対に売ります。石にしがみついてでも売ります」と訴えました。

― 確かに、「熱意は人を動かす」んですね。

 ええ。独立して、会社を立ち上げた後も、私にあったのは熱意だけだったように思います。起業後の最初の1年間は休んだ記憶がほとんどありません。資金繰りの苦労もありながら、金融機関には相手にされず、回収を先にする半ば自転車操業の状態。備品の購入や経理作業といった業務もすべて自分でやらなければなりません。先は見えず、休みはまったくない。それでも、情熱と熱意と執念で乗り越えた。やがて会社は軌道に乗り始め、資金繰りも順調になり、おかげさまで業績も伸び続けていまに至っています。

著名経営者

  • 株式会社スタジオジブリ

    鈴木 敏夫
  • シダックス株式会社

    志太 勤
  • エステー株式会社

    鈴木 喬
  • 伊那食品工業株式会社

    塚越 寛
  • 株式会社IDOM(旧:株式会社ガリバーインターナショナル)

    羽鳥 兼市
  • GMOインターネット株式会社

    熊谷 正寿

プロフィール

  • お名前鷲尾 潤二
  • お名前(ふりがな)わしお じゅんじ