― 「早稲田合格塾」を立ちあげた経緯を教えてください。
大学3年になると、周りの学生が同じようなリクルートスーツを着て会社訪問する姿を見て、「自分は違う。」という気持ちが芽生えてきました。「早稲田大学の中でも突出した存在になりたい。」という思いがあり、自分の中ではそれが社長であり、学生起業というものでした。
最初はイベント関連やweb制作など、色々な事業をやってみたものの、なかなか上手くいきませんでした。事業が定まらない中で、起業の思いばかりが先に立ってしまっていました。
そのような中で、本屋に行くと受験対策の参考書コーナーでいつも足を止めてしまう自分がいることに気がつきました。事業をやりたいのなら、自分の好きなこと、自分が本当に頑張ってきたものを活かして事業を創っていかなければダメだということに、あらためて気づかされました。
会社を経営するのであれば、自分の価値観と世界観を変えてくれた教育という分野で勝負がしたい。それが大学入試の業界であり、自分の人生を変えてくれた早稲田大学への合格というものであると分かったのです。
また、予備校時代に一番影響を受け憧れの存在であった、東進ハイスクールの板野博行先生と関わりを持てたことも大きかったと思います。プライベートでもとても仲良くしていただき、色々な話を聞かせてもらっている中で、やはり私は教育というものが大好きなのだと強く感じました。
― 早稲田大学で得られたものは何だと思いますか。
一番は、素晴らしい仲間達と出会えたことです。そうした環境に身を置く機会に恵まれ、自身の成長にとってかけがえのないものになったと思います。
そして今は、過去の自分と同じような生徒を助けたいという、親心のようなものが芽生えています。
日本は型を重んじる社会ですから、早稲田大学に入学して卒業したという事実は「努力した証」になります。
私も早稲田大学に合格したあと、人の評価が180度変わるという経験をしました。「人生は変えられる」という事実を、今、未来が見えないと考える高校生や浪人生のみなさんに伝えたいです。
― 最後に生徒や保護者の方へのメッセージをお願いします。
僕が伝えたいのは、「勝てる大人」になってほしいということです。たった一つの成功は、その人の人生を変えることができます。ただ、失敗しても、決して負けたわけではありません。
「勝ったからといって、すべてが良かったわけではない。負けたからといって、すべてが悪かったわけでもない。」という言葉が私は好きです。負けてしまったとしても学べる何かがある。それを活かして次に勝てばいい。あきらめなければ、それは負けではないです。
最終的にどうやったら勝てるのか。逆転合格という勝利を目指すために、ぜひ早稲田合格塾がお役に立ちたいと思っております。
そして、やるのは誰でもない、あなたです。そうした思いを持って当塾に来てくれる生徒には全力で向き合い、勝ちを目指して一緒に邁進したいと思っております。
■ 比良 寛朗 (ひら ひろあき)
1987年、鹿児島県生まれ。高校時代は部活のサッカーに明け暮れ、授業を真面目に受けない生徒で偏差値も50程度。ある日、偶然テレビで目にした早稲田大学の学風や理念に感銘を受け、一念発起して同学への入学を目指す。1年浪人して大手予備校で猛烈な受験勉強を開始、晴れて早稲田大学に合格を果たした。大学入学後、他の学生と同じ色に染まるのを嫌い、学生起業を模索。いくつかの事業を経たあと、早稲田大学の受験対策のみに特化した通信予備校「早稲田合格塾」を開設。以来、多くの早稲田大学合格者を輩出している。
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プロフィール
- お名前比良 寛朗
- お名前(ふりがな)ひら ひろあき
- 出身鹿児島県
- 身長171cm
- 平均睡眠時間8時間
- 平均起床時間8時
- 趣味あぶない刑事を見ること
- おススメ本インベスターZ
- 両親の職業医師
- 座右の銘良き弟子は師を育てる
- 尊敬する歴史上の人物伊能忠敬
- 好きな食べ物地元鹿児島の90番カレー
- 嫌いな食べ物サラサラしたカレー
- 好きな作家荒木飛呂彦
- 好きなスポーツサッカー、極真空手
- 好きなミュージシャン氷室京介、長渕剛
- 好きな歌(曲)LOVER'S DAY(氷室)
- 思い出に残るプレゼント生徒からの合格報告
- 休日の過ごし方サッカー観戦
- 出身校早稲田大学